710年(和銅3年) 平城京に遷都する。 |
712年(和銅5年) 『古事記』の成立。 |
718年(養老2年) 養老律令の成立(実施は757年(天平宝字元年)から)。 |
720年 行基ら、僧侶による社会事業が諸国で行われる。 |
720年(養老4年) 『日本書紀』の成立。 |
723年(養老7年) 三世一身法を定める。 |
729年(神亀6年) 長屋王の変 |
729年(天平元年) 聖武天皇の后に光明子(光明皇后)を冊立。 |
740年(天平12年) 藤原広嗣の乱 |
741年(天平13年。一説に738年) 諸国に国分寺・国分尼寺を造らしむ。 |
743年(天平15年) 墾田永年私財法を定める。 |
752年(天平勝宝4年) 東大寺大仏の開眼供養。 |
754年(天平勝宝6年) 唐僧鑑真、来朝して律宗を伝える。 |
757年(天平宝字元年) 橘奈良麻呂の乱 |
759年(天平宝字3年)頃 『万葉集』の成立。 |
764年(天平宝字8年) 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱) |
765年(天平神護元年) 道鏡、太政大臣禅師となる。 |
769年(神護景雲3年) 宇佐八幡宮神託事件 |
782年(延暦元年) 氷上川継の乱 |
784年(延暦3年) 長岡京へ遷都 |
785年(延暦4年) 藤原種継暗殺、皇太子早良親王を廃位 |
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788年(延暦7年) 最澄、延暦寺を創建 |
794年(延暦13年) 長岡京を廃し、平安京に遷都 |
801年(延暦20年) 坂上田村麻呂、蝦夷を平定する。 |
807年(大同2年) 伊予親王の変 |
810年(弘仁元年) 蔵人所を置く。 |
810年(大同5年) 薬子の変 |
816年(弘仁7年) このころ検非違使を置く。 |
833年(天長10年) 令義解の撰上。 |
842年(承和9年) 承和の変 |
858年(天安2年) 藤原良房、人臣初の摂政となる(摂関政治の始まり) |
866年(貞観8年) 応天門の変 |
878年(元慶2年) 元慶の乱 |
880年(元慶4年) 藤原基経、関白となる |
887年(仁和3年) 阿衡事件 |
887年(仁和3年) 藤原基経、関白となる(関白の初め)。 |
893年?(寛平5年) 初めて滝口武者(滝口の武士)を置く。 |
894年(寛平6年) 遣唐使を廃止する。 |
901年(昌泰4年) 昌泰の変(菅原道真、大宰権帥に左遷される。) |
902年(延喜2年) 延喜の荘園整理令 |
905年(延喜5年) 『古今和歌集』の成立。 |
927年(延長5年) 延喜式の撰上(施行は967年(康保4年)から)。 |
935年(承平5年) - 941年(天慶4年) 承平・天慶の乱 |
937年(承平7年) 官符を下して、平将門を追捕せしむ。 |
939年(天慶2年) - 941年(天慶4年) 出羽において俘囚が反乱を起こす(天慶の乱)。 |
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平将門、常陸国府を襲撃し新皇を号する。平将門の乱 |
藤原純友も受領を襲撃する | 694年(持統8) 藤原京に遷都
940年(天慶3年) 平貞盛・藤原秀郷ら、平将門を誅する。 |
941年(天慶4年) 小野好古ら、藤原純友を誅する。 |
967年(康保4年) 延喜式施行 |
969年(安和2年) 安和の変 |
988年(永延2年) 尾張の郡司・百姓ら、国守藤原元命の非政を訴える(国司苛政上訴)。 |
996年(長徳2年) 長徳の変 |
1000年 - 1014年頃 清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』が成立する。 |
1016年(長和5年) 藤原道長、摂政に就任 |
1017年(寛仁元年) 藤原道長、太政大臣となる。 |
1019年(寛仁3年) 刀伊の入寇 |
1028年(万寿5年) 平忠常の乱 |
1031年(長元4年) 平忠常、源頼信に降伏 |
1051年(永承6年) 前九年の役始まる |
1062年(康平5年) 安倍貞任敗死、前九年の役終わる |
1068年(治暦4年) 後三条天皇即位、摂関時代の終わり |
1069年(延久元年) 延久の荘園整理令。初めて記録荘園券契所を置く。 |
1072年(延久4年) 延久宣旨枡制定 |
1073年(延久5年) 院の蔵人所を置く。 |
1083年(永保3年) 後三年の役始まる |
1086年(応徳3年) 白河天皇、上皇となり院政を開始 |
1087年(寛治元年) 後三年の役終わる |
1098年(承徳2年) 源義家、昇殿を許される(初めて武士が殿上人となる)。 |
1108年(嘉承3年) 平正盛、源義親を追討(源義親の乱) |
1111年(天永2年) 記録荘園券契所設置 |
1129年(大治4年) 白河法皇没、鳥羽上皇による院政開始 |
1132年(長承元年) 平忠盛、昇殿を許される。 |
1156年(保元元年) 鳥羽法皇没、保元の乱により後白河天皇方が勝利 |
1159年(平治元年) 平治の乱 |
1167年(仁安2年) 平清盛、太政大臣となる(平氏政権) |
1169年(仁安4年/嘉応元年。または1179年(治承3年)) 後白河法皇の編による『梁塵秘抄』が成立。 |
1177年(治承元年) 鹿ケ谷の陰謀 |
1179年(治承3年) 平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉 |
1180年(治承4年) - 1185年(寿永4年) 治承・寿永の乱(源平合戦) |
1180年(治承4年)4月 以仁王、平家追討の令旨を発し、源頼政らとともに挙兵する(以仁王の挙兵) |
1180年(治承4年)6月 福原行幸 |
1180年(治承4年)8月 源頼朝、伊豆国で挙兵する(石橋山の戦い)。 |
1180年(治承4年)10月 富士川の戦い |
1181年(治承5年→養和元年) 後白河法皇院政の再開、養和の飢饉 |
1181年(治承5年)4月 墨俣川の戦い |
1183年(寿永2年) 平氏西走し、源義仲入京。後鳥羽天皇即位。 |
源頼朝、寿永二年十月宣旨により東国支配権の承認を得る |
1183年(寿永2年)11月 水島の戦い |
1183年(寿永2年)5月 倶利伽羅峠の戦い |
1184年(寿永3年)1月 宇治川の戦い |
1184年(寿永3年)2月 源義経ら、摂津国福原で平家軍に大勝する(一ノ谷の戦い)。 |
1184年(寿永3年→元暦元年) 源義仲、源義経軍により敗死。源頼朝、問注所・公文所を設置 |
1185年(寿永4年)2月 屋島の戦い。 |
1185年(寿永4年)3月 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡) |
11月 文治の勅許により地頭・守護の設置始まる |
1189年(文治5年)7月 - 同年9月 奥州合戦により奥州藤原氏滅亡 |
1189年(文治5年)8月 阿津賀志山の戦い |
1190年(建久元年) 源頼朝上洛、権大納言・右近衛大将となる |
1192年(建久3年) 後白河法皇没、源頼朝、征夷大将軍となる |
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